戦禍を逃れ、頼ったのは日本に住む姉 再会したウクライナ人姉妹、慣れない土地で求められる支援 (22/03/24

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • ロシア軍のウクライナ侵攻が続く中、戦禍を逃れた人たちが22日、日本に到着しました。その中には、愛知に住む姉を頼って避難してきたウクライナ人女性がいました。
     ウクライナから避難する人たちは、東京と大阪の空港から日本にも到着しています。22日の夕方、関西空港に、オランダからの旅客機が15時間以上かけて到着しました。 
     愛知県東海市に住む川口リュドミラさん。祖国ウクライナからポーランドに避難していた妹のリュボヴさんと子どもたちが来日するため、空港へ駆けつけました。
     ウクライナにいる父親からは、無事に娘が日本に到着したかを心配して連絡が入りました。
    「父は『妹はどうなっているか?』『時間がかかっているのか?』と心配している。妹は入国のために、いろんな書類に入力しなければいけない。遊びに来たんじゃないんだから、意地悪みたい」(川口リュドミラさん)
     妹たちのこの1ヵ月間の苦労を思うと、つい言葉も強くなります。
     妹のリュボヴさんは、ウクライナへの攻撃が酷くなったため、6歳になる双子の息子たちを連れて国境を越えました。
    「子どもたちを地下室に毎回避難させるのはかわいそう。すごくストレスがかかるから(国外へ)避難した方がいいかなと」(川口リュドミラさん)
     妹と甥たちは、ポーランドの親戚の家に身を寄せることができました。しかし、ずっと親戚の好意に甘え続けるわけにもいきません。
    「性格が私と違うから、すごく優しい大人しい性格だから。ちょっと心配。日本に来たほうが安心」(川口リュドミラさん)
    入国の書類作成とPCR検査に苦労
     リュドミラさんは、リュボヴさんの日本行きを説得し、日本大使館にビザを申請しました。その6日後に、リュボヴさんはワルシャワにある日本大使館へ行き、ビザを受け取ることができました。
     到着から1時間が過ぎても、リュボヴさんはゲートから姿を見せません。頻繁に連絡を取ります。英語と日本語表記の書類の作成に苦労しているようです。
    「いま、皆疲れて書類を書かなければいけない。PCR検査しなければいけない」(川口リュドミラさん)
     PCR検査では、唾液の採取に大人でも時間がかかります。幼い2人の子どもは、なおさら大変なようです。2時間が過ぎました。
    「妹とメールでやりとりしていて、まだ電話できていない。PCR検査は出した」(川口リュドミラさん)
    「きのうは夫の実家から布団を借りて、シーツとか新しいのをきのう買いに行って、子どものタオルとパジャマも買いに行った。朝ここに来る前はすごく忙しかった。部屋を掃除して、布団ひいて、ベッドじゃないからジャパニーズスタイルで」(川口リュドミラさん)
    3年ぶりの再会も、日本での生活には支援が必要
     3時間が経過しようとしていました。
    「3人とも陰性でした。大丈夫です」(川口リュドミラさん)
     飛行機の到着から3時間半。到着口の向こうから3人が現れました。コロナの影響もあり、3年ぶりの再会となりました。
     ようやく、日本の土を踏むことができた妹と小さな甥っ子たち。しかし、列車の時間が迫っていました。その後、急いでタクシーに乗り、どうにか新幹線の時間に間に合いました。
     妹のリュボヴさんと2人の息子は、愛知県のリュドミラさんの家で日本の生活をスタートします。これから、リュボヴさんは仕事を探さなければいけません。また、子どもたちの学校をどうするのか。日本語を覚える機会がないと、買い物をすることも大変です。
     故郷を追われ、突然始まった慣れない日本での生活。求められているのは、私たち日本社会による支援です。
    (3月23日 15:40~放送 メ~テレ『アップ!』より)

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